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松江地方裁判所益田支部 昭和42年(ワ)2号 判決 1969年11月18日

原告 甲野太郎 外一名

被告 石見交通株式会社

主文

原告甲野花子(仮名、以下同じ。)が被告の従業員としての地位を有することを確認する。

被告は原告甲野花子に対し金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年四月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

同原告のその余の請求および原告甲野太郎(仮名、以下同じ。)の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを六分し、その一を原告甲野太郎の、その二を原告甲野花子の、その三を被告の負担とする。

事実

一、原告らの求めた裁判

(一)  主文第一項と同旨の判決

(二)  被告は原告甲野花子に対して金二、〇〇〇、〇〇〇円、同甲野太郎に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四三年四月七日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告の求めた裁判

(一)  原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

三、原告らの請求原因

(一)  事件発生の経緯

1  原告甲野花子は昭和二二年三月一四日生れの女子であつて、昭和四〇年二月二二日旅客運送事業を営む被告会社にガイドとして雇傭され、約一ケ月のガイドとしての基礎教育をうけた後、被告会社の浜田営業所に配属された。

2  右浜田営業所には女子従業員の宿舎として、被告会社が、その従業員を宿泊させる目的で他から賃借していたアパート祇園荘があり、同原告も右アパートに宿泊していたものであるところ、同年四月一八日夜、被告会社の従業員で同じく右アパートに居住する訴外下尾正が同原告に対し暴力を用いて強いて姦淫し、その結果同原告は懐妊するにいたつた。

3  被告会社の浜田営業所長である訴外小川秀雄は前項掲記の事実を知るや、同年七月五日同原告に対し同原告の右訴外下尾正との情交の事実は被告会社の就業規則第四五条二〇号に規定する素行不良又は不正行為であつて著しく従業員としての体面を汚し、又は被告会社の名誉を損つた場合に該当するので、本来ならば同条により懲戒解雇すべきであるが、もしこれを行なえば同原告の将来に不利益をもたらすおそれがなしとしないから、同原告から退職願の提出をうけ、もつて同原告からの申出による雇傭契約の解約としたい旨を申し入れた。

4  同原告は右申入れに対し、もし同原告が退職願いの提出を拒めば、被告会社から懲戒解雇処分をうけ、そのために将来の就職が困難となり、また前記訴外下尾正による姦淫の事実が世間に知れわたり、結婚にも差し支えることをおそれ、前記訴外小川秀雄の申込みを承諾して、同日被告会社宛の退職願いを作成交付した。

5  しかるところ、昭和四〇年七月六日、被告会社の職員である訴外浅原徳雄は同原告を被告会社の浜田営業所に呼び出したうえ、同原告に対し、被告会社の命令であるとして前記訴外下尾正との情交の模様、前後の状況を詳細に陳述することを求め、同原告の陳述を録取して供述書と題する書面とし、これに署名押印させた。

(二)  従業員たる地位確認の請求

1  雇傭契約解約無効の主張

イ 虚偽表示の主張

前記(一)の3および4掲記の事情のもとにおいては、原告甲野花子が昭和四〇年七月五日被告会社に対してなした雇傭契約解約の意思表示はその相手方で被告会社の代理人である訴外小川秀雄と通じてなした虚偽仮装のものであるから無効である。即ち、右訴外小川秀雄は被告会社の浜田営業所長として同営業所々属の従業員の人員管理につき被告会社を代理する権限を有するものであるところ、同原告に対し、同原告の訴外下尾正との情交は被告会社の就業規則上懲戒解雇の事由となるので、被告としては解雇するが、その形式のみは同原告からの申出による退職とする旨、同原告に申し入れ、同原告は前叙のとおりいたしかたなくこれを承諾したものであつて、事実上は懲戒解雇であり、単に右両者相通じて形式上雇傭契約の解約としたものであるから、結局右原告甲野花子の解約の意思表示は相手方と通じてなした虚偽仮装のものであつて無効である。

ロ 要素の錯誤の主張

かりに原告甲野花子により右雇傭契約解約の意思表示が虚偽表示でないとしても、その法律行為の要素に錯誤があり無効である。即ち、原告甲野花子が被告会社との雇傭契約について解約の意思表示をした動機は、前記被告会社の代理人である訴外小川秀雄から同原告と訴外下尾正との情交は被告会社の就業規則第四五条第二〇号に定める懲戒解雇事由となるが、これを避けるため、同原告からの雇傭契約の解約の形式としたい旨告げられ、同原告は真実右情交が懲戒解雇事由となるものと信じ、前叙のとおりかゝる解雇を避けるため、その動機を表示して、前示解約の意思表示をしたのである。ところで、被用者間の情交の如き私行上の問題が就業規則上の解雇事由となり得ないことは明らかであつて、同原告がかく信じて意思表示をしたことはその法律行為の要素に錯誤があるものというべく、したがつて右解約は無効である。

2  雇傭契約解約取消の主張

イ 詐欺による意思表示の主張

かりに本件解約の意思表示が無効でないとしても、右解約の意思表示の相手方で被告会社の代理人である被告会社の浜田営業所長訴外小川秀雄は、原告甲野花子と訴外下尾正との情交が被告会社の就業規則において懲戒事由とならないことを知りながら、これが懲戒事由となると同原告に告げてこれを欺罔し、雇傭契約の解約の意思表示をさせようと企て、同原告に右の旨を申し入れて同原告を誤信させ、同原告をして右解約の意思表示をさせたものである。

ロ 強迫による意思表示の主張

かりに原告甲野花子による雇傭契約の解約の意思表示がその相手方の詐欺によつてなされたものでないとしても右意思表示の相手方で被告の代理人である前記訴外小川秀雄は、同原告を強迫して畏怖させ、もつて本件雇傭契約解約の意思表示をさせようと企て、同原告と訴外下尾正との情交が被告会社の就業規則に定める懲戒解雇事由に該当し、もし、同原告において右解約の意思表示をしない場合には同原告は懲戒解雇処分をうけ、社会的に種々不利益を被ることになると告げ、同原告をしてその旨畏怖させ、その結果同原告をして雇傭契約解約の意思表示をさせたものである。

ハ 取消の意思表示の主張

原告甲野花子は本件(昭和四〇年(ワ)第六二号事件)の訴状において被告との雇傭関係解約の意思表示は前記イおよびロに記載する詐欺又は強迫によるものであるからこれを取り消す旨の意思表示をし、同訴状は昭和四〇年一二月二五日に被告に到達した。かりに右取消の意思表示をなしたことが認められないとしても、同原告は、昭和四三年四月二二日開催の本件第一一回口頭弁論期日において前記意思表示は詐欺もしくは強迫によるものであるから取り消す旨の意思表示をした。

3  よつて、原告甲野花子が昭和四〇年七月五日、被告会社に対してなした同原告と被告会社との間の雇傭契約を解約する旨の意思表示は叙上の理由により無効或いは取り消されたものであるから、同原告が依然被告会社の従業員たるの地位を有することの確認を求める。

(三)  損害賠償の請求

1  宿舎管理上の故意又は過失

前叙原告甲野花子が訴外下尾正から暴力を用いて姦淫されたアパート祇園荘は被告会社の浜田営業所の唯一の女子従業員のための宿舎で、同原告はやむなくこゝに居住していたものであるところ、同原告の居室から廊下をへだてて右訴外人が居住しており、未成年の女子の宿舎としては不適当な状態にあつたので、原告両名は昭和四三年四月四日および同月六日に、当時被告会社の被用者であつて右従業員宿舎たる祇園荘の管理をも職務内容とする被告会社の浜田営業所長訴外小川秀雄に対し、右事情を告げて原告甲野花子の宿舎の変更を求めたのである。したがつて、同訴外人は、直ちにかゝる状態を改善しなければ右祇園荘に宿泊する被告会社の女子従業員に同原告が被害をうけたのと同種類の事故が発生するおそれがあることを知りまたは知りうべきであつたのに漫然右宿舎の状態を放置していたため、同原告は右訴外下尾正から強いて姦淫され、その貞操を侵害されるにいたつたのである。

2  詐欺、強迫による自由の侵害

被告会社の被用者で、原告甲野花子が勤務していた被告会社の浜田営業所長として、同営業所の従業員の人事管理をもその職務内容とする訴外小川秀雄は昭和四〇年七月五日同原告に対し、同原告と訴外下尾正との情交が被告会社の就業規則における懲戒解雇事由にあたらないことを知りながら、同原告に対し、右情交が懲戒解雇事由に該当するから、もし同原告において被告会社に対し被告との雇傭契約解約の意思表示をしなければ被告会社から懲戒解雇され、社会的に種々の不利益を被ると欺罔し或いは強迫し、その旨信じた同原告を畏怖させ、右解約の意思表示をなさしめて、同原告に義務なきことを行なわせた。

3  陳述の強制

被告会社の被用者で前記浜田営業所の庶務を職務内容とする訴外浅原徳雄は、昭和四〇年七月六日、同原告を右浜田営業所に呼び出したうえ、被告会社の従業員数名が同席する場所において、同原告の意に反し、右訴外下尾正との情交に関し詳細に陳述することを強制し、前叙のとおり同原告の陳述を録取した供述書に署名押印させ、もつて義務なきことを行なわせた。

4  供述書の公表

前示訴外小川秀雄は、被告会社の浜田営業所長の職務として、前項掲記の供述書と題する書面を被告会社に備えつけて公表し、もつて原告甲野花子が情交を行なつた事実を世間に知らせ、その名誉を侵害した。

5  不行跡の事実の公表

右訴外小川秀雄は前叙のとおり原告甲野花子をして雇傭契約解約の意思表示をさせて、同原告の出勤を事実上不能ならしめ、もつて同原告が不行跡を行なつたとの事実を公表して同原告の名誉を侵害した。

6  原告甲野花子の被つた損害

原告甲野花子は前叙1ないし5掲記のとおり被告会社の被用者の職務の執行に際し、その故意または過失により、それぞれ前叙のとおり自由もしくは名誉を侵害されたのであるが、そのため同原告は多大の精神的苦痛をうけており、それを慰藉するためには金二、〇〇〇、〇〇〇円の支払をもつて相当とする。

7  原告甲野太郎の被つた損害

原告甲野太郎は原告甲野花子の父であるところ、被告会社の被用者の職務執行の際の前叙原告花子に対する行為により、その名誉を甚だしく毀損された。これによつて原告太郎は精神的苦痛をうけたので、その慰藉のためには金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払をもつて相当とする。

8  よつて被告に対し、原告甲野花子は金二、〇〇〇、〇〇〇円、同甲野太郎は金一、〇〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する右各金員支払請求のための訴の変更申立書が被告に到達した日の翌日である昭和四三年四月七日から支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四、被告の答弁

(一)  請求原因(一)に対する答弁

1  原告が請求原因(一)の1において主張する事実は認める。

2  同2のうち、原告甲野花子がやむなく祇園荘アパートに宿泊していたことおよび訴外下尾正から暴力を用いて姦淫されたことを否認し、その余を認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実中原告甲野花子が訴外小川秀雄の説得に応じて退職願を作成交付したことは認めるが、その余の事実は知らない。

5  同5の事実は認める。

(二)  請求原因(二)に対する答弁

1  解雇無効の主張に対する答弁

イ 原告が請求原因(二)の1のイにおいて主張する事実のうち、原告甲野花子が行なつた解約の意思表示の相手方が訴外小川秀雄であつて、同訴外人が被告会社を代理していたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。即ち、被告会社としては原告花子を通じて同原告に仮装の意思表示をさせる何らの必要もなかつた。

ロ 同ロの事実中訴外小川秀雄が被告の代理人であつたことおよび原告主張の就業規則があることは認めるがその余はすべて否認する。即ち、原告甲野花子は(a)試用見習期間中であり(b)被告が定めた従業員の宿舎である祇園荘において前記下尾正と同棲しており(c)同原告が妊娠中絶を行なつたことが周知の事実となり(d)被告の浜田営業所長小川秀雄が同原告に対し右祇園荘からの退去を申しわたし、同原告はこれを承諾して同原告の祖母方から通勤する旨返答したのに右訴外下尾正の部屋に居住しており(e)平然と無断欠勤を行なう状態で、右事実はまさに素行不良の行為により著しく従業員としての体面を汚しまた被告会社の名誉を損つたものであつて、被告の就業規則第四五条二〇号に該当し懲戒解雇事由となる。

2  解約の取消の主張に対する答弁

イ 原告が請求原因(二)の2のイにおいて主張する事実のうち訴外小川秀雄が被告の代理人であることを認め、その余はすべて否認する。即ち、前叙のとおり原告甲野花子には真実被告から懲戒解雇される事由があつたもので、同原告に対する欺罔は行なわれていない。

ロ 同ロの事実中訴外小川秀雄が被告会社の代理人であることは認めるがその余は否認する。即ち、前示のとおり原告甲野花子には懲戒解雇処分をうける事由があつたが、被告会社の浜田営業所長小川秀雄はその事情を同原告に説明して同原告の自由な意思による決定を求めたものであり、また前示1のロにおいて述べたとおり同原告の行動はまさに懲戒解雇事由にあたるもので、被告がかゝる行為を理由に解約の意思表示をすることを求めても違法ではない。したがつて本件意思表示には何ら強迫の要素はない。

ハ 同ハの事実は認める。

(三)  原告の請求原因(三)に対する答弁

1  原告が請求原因(三)の1において主張する事実のうち、訴外小川秀雄が被告会社の被用者で宿舎祇園荘の管理をもその職務内容としていたこと、原告甲野花子と訴外下尾正が右祇園荘に居住していたことおよび同訴外人と同原告との間に情交関係があつたことは認めるがその余は否認する。即ち、原告らが右訴外人に求めたのは単なる原告花子の転勤であつて、宿舎の不満にもとづく状況の改善ではなかつた。

2  同2の事実のうち訴外小川秀雄の職務内容および原告花子が右訴外人に対し雇傭契約解約の意思表示をしたことを認め、その余はすべて否認する。

3  同3の事実のうち、訴外浅原徳雄が原告花子に対し、訴外下尾正との情交の状況について説明することを求め、これを書面に録取して署名押印させたことは認めるがその余はすべて否認する。

4  同4のうち訴外小川秀雄が被告会社の浜田営業所長であることは認めるが、その余はすべて否認する。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は否認する。即ち、被告会社において、原告花子と訴外下尾正との間の情交関係を知る以前に同人らの関係は人々の知るところとなつており、被告会社がかゝる事実を公表したために人々が知つたものではない。

五、立証<省略>

理由

一、請求原因(一)に対する判断

原告が請求原因(一)において主張する事実のうち、原告甲野花子は昭和二二年三月一四日生れの女子であつて、昭和四〇年二月二二日、旅客運送事業を営む被告会社にガイドとして雇傭され、約一ケ月のガイドとしての基礎教育をうけた後、被告会社の浜田営業所に配属されたこと、同営業所配属後は被告会社がその従業員の宿舎用に賃借している祇園荘アパートに居住していたが、同原告はその間に同じく右アパートに居住する訴外下尾正と情交関係を生じ懐妊するにいたつたこと、被告会社の浜田営業所長である訴外小川秀雄は昭和四〇年七月五日、同原告に対し、右情交関係は懲戒解雇事由となるが、これを同原告からの申出による解約の形式にしたい旨を申し出で、同原告はこれに応じて被告会社に対し右解約の意思表示をしたことおよび昭和四〇年七月六日、被告会社の職員である訴外浅原徳雄が、同原告を浜田営業所に呼び出して前記情交についての陳述を求め、これを録取して供述書と題する書面として同原告に署名押印させたことは当事者間に争いがない。

また、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一号証の一、二、同第四号証、同第五号証、同第六号証の一、二、同第一三号証および同第一四号証、成立に争いのない甲第九号証、同第一一号証、同第一五号証および同第一六号証を総合すると、昭和四〇年四月一八日夜、前記訴外下尾正は原告甲野花子を暴力をもつて同訴外人の部屋に連れ込んだうえ強いて姦淫したことおよび同原告は訴外小川秀雄から雇傭契約解約の意思表示をするよう求められた際、もし被告会社から懲戒解雇処分をうければ種々社会的に不利益をうけるものと考え右申込を承諾したことが認められる。

二、請求原因(二)に対する判断

(一)  雇傭契約無効の主張に対する判断

1  虚偽表示の主張に対する判断

原告甲野花子が被告会社との雇傭契約解約の意思表示をした相手方が訴外小川秀雄であつて同訴外人は右意思表示をうけるにつき被告会社を代理する権限を与えられていたことは当事者間に争いがない。ところで、原告は右解約の意思表示は本質的には解雇であるべきものを、唯その形式のみにおいて同原告からの申出による解約としたものであるから、かゝる意思表示は相手と通じてなした虚偽仮装のものであると主張し、かつ右原告主張の事実は被告においてもこれを認めるところであるので右解約の意思表示が虚偽表示となるかについてみるに、右当事者間に争いのない事実からも、原告甲野花子と訴外小川秀雄の間においては、その動機はともあれ、同原告と被告会社との雇傭契約を同原告からの解約の申入れによつて終了せしめ、そのとおりの法律上の効果が生じることを期待していたことが明らかであるから、本来当事者間において法律上の効果の発生を意図しない虚偽表示とはその態様において全く異なり、これを虚偽表示ということはできない。

2  錯誤の主張に対する判断

前叙のとおり原告甲野花子の解約の意思表示の相手方が被告の代理人訴外小川秀雄であることは当事者間に争いがない。そこで、同原告が右意思表示をなした際、その動機として、同原告が被告会社の解雇処分を避けるためであることが表示されていたかについてみるに、成立に争いのない甲第一一号証、同第九号証および同第一〇号証によれば、原告花子が本件解約の意思表示を行なうに際し、前示訴外小川秀雄は一方的に同原告の訴外下尾正との情交をとりあげて難詰、面罵したうえ、被告会社との雇傭契約の解約の意思表示をすることを迫り、一方同原告はこれに対し、何ら弁解或いはその意見の発表を行なわず、たゞ自己の情交関係が明らかにされたことへの羞恥と恐怖から退職届の作成に応じたことが認められ、その他本件全立証をもつてしても右の場合以外にも、同原告が本件解約の意思表示をした動機を被告会社に示したとの事実も認められない。右認定の事実と反する部分の甲第九号証記載の小川秀雄の供述は信用できない。叙上認定の事実からみれば、本件解約の意思表示の際原告が本主張において述べる動機は明示にも黙示にも表示されていないことになる。してみれば、原告の本主張は他の点を判断するまでもなく失当である。

(二)  取消の主張に対する判断

1  詐欺の主張に対する判断

前叙のとおり、本件解約の意思表示について、その相手方たる訴外小川秀雄が被告会社の代理人であつたことは当事者間に争いがないが、本件全立証をもつてしても、原告甲野花子と訴外下尾正との情交が被告会社の就業規則において懲戒事由とならないことを右訴外小川秀雄が知つていたとの証拠はない。してみれば、他を判断するまでもなく同原告の本主張も失当であるといわなければならない。

2  強迫の主張に対する判断

前叙のとおり本件意思表示の相手方が被告会社の代理人訴外小川秀雄であることは当事者間に争いがない。

先ず、成立に争いのない甲第九号証ないし同第一一号証によれば、次の事実が認められる。即ち、原告甲野花子が昭和四〇年七月五日右訴外人に対して被告との雇傭契約解約の意思表示をするに際して、同原告は右訴外人から被告会社浜田営業所に呼ばれた。同室では同原告に対面して同営業所々長の右訴外人、副所長の訴外本多義人および労務係長の訴外吉田某が座り、同原告が席につくやいなや右訴外小川秀雄が大声で、同原告と訴外下尾正との情交関係を難詰し、さらに同訴外人の人柄について、前科者或いは生活能力がないと批判した後、同原告をくりかえし罵倒し、最後にかゝる行動は被告会社の就業規則上懲戒解雇事由にあたるが、同原告の将来のこともあるので、今回はその責任をとつて退職願を提出し、もつて雇傭契約解約の意思表示をすることを求めた。右訴外小川秀雄の声は同営業所の所長室の隣にある庶務係の部屋にもきこえる程大きく、そのため庶務係長は、同訴外人が同原告に右退職の要求をするや直ちに退職届の用紙を所長室にもつてきた。同原告は突然かゝることを申し出られて驚愕のあまり、何らの弁明もなし得ず、かつ右訴外人の要求がひどく強制的であつたので反撥もできないまゝ右申込を承諾して退職届に署名押印した。右認定に反する部分の甲第九号証記載の小川秀雄の供述は信用できない。また同原告は昭和二二年三月一四日生れの女子で被告会社に入社して間のない状況であつたことは当事者間に争いがない。右認定の事実からみれば、退職が如何に重大事であるとしても、当時未だ一八歳の女子で被告会社に入社間もない同原告に対し、同原告の上司でかつ被告会社の浜田営業所の幹部三人と対面させたうえ、必要以上の大声で同原告の情交関係を難詰し、また情交の相手方を罵倒し、かゝる事実は懲戒解雇事由にあたると言うがごときは、右訴外小川秀雄が、同原告に本件解約の意思表示をなさしめるにつき、もし同原告がかゝる意思表示を行なわなければ同原告は解雇され、社会的に如何なる不利益を被るかわからないものと、同原告を畏怖させたうえ、その影響のもとにこれを行なわせようとする意図を有していたと推認するに充分であり、また同原告としては自らの情交関係を面前であきらかにされ、もし右訴外人の意にしたがわなければ今後如何なる事態が起るかもしれないと畏怖したことも明らかである。

ところで、右訴外人に前叙の程度の強迫行為があつたとしても、それによつて行なわせた意思表示が不当なものでなければ、これをもつて直ちに違法な強迫行為ということはできず、したがつて、これによつてなさしめられた意思表示も取り消し得ないものと解するので、右なされた意思表示が不当なものであるか否かについて考察する。この点につき、被告会社は、同原告が試用期間中であるにもかゝわらず、被告会社が定めた従業員宿舎である祇園荘において訴外下尾正と同棲し、そのために妊娠したことが世間に知れわたるにいたり、これに対して被告会社の浜田営業所長は同原告に右宿舎から退去すべき旨を申しわたし、同原告はこれを承諾したのに依然右訴外下尾の部屋に居住し、かつ無断欠勤を行なう状態であつたから、右状態を総合的に考慮すればまさに懲戒解雇事由に該当するものであつて、かゝる場合懲戒解雇を避けるため解約の意思表示をさせても違法ではない旨主張する。

成立に争いのない乙第二号証、同第三号証、甲第九号証および同第一一号証によれば、被告会社の就業規則第二七条第二項、第三項には「試用の期間は三ケ月を限るものとし、不適格と認めた場合は何時にてもこれを解雇する。前項の試用期間は雇入後最初の一六日を起算日とする。」同第二八条には「前条の試用期間を経た者を見習者とし、その見習期間はバス運転士三ケ月以内、その他二ケ月以内とする。」同第二九条には、「会社は見習期間中従業員として適格者であると認め且つ必要な手続きを完了した者を本雇として正式に採用する。不適格者と認めた場合は三〇日以前に予告するか又は三〇日分の平均賃金を支給して解雇する。」また臨時従業員就業規則第一一条には「就業規則第四一条ないし第五一条の規定(懲戒)は臨時従業員についてこれを準用する。」旨の規定があり、原告甲野花子は昭和四〇年二月二二日被告会社にバスガイドとして採用されたものであるから、右規定によれば昭和四〇年六月一五日までがその試用期間であり、それ以降は見習者となり、本件解約の意思表示がなされたときは依然右の見習者の地位にあつたことが認められる。このような試用期間中或いは見習期間中の被用者の地位が如何なるものであるかについては、かゝる被用者と使用者との雇傭契約或いは就業規則により定まるものであると解するところ、先ず被告会社における試用期間中の者の地位についてみるに、前示認定の就業規則によれば、被告会社は試用者を不適格と認めれば何時でもこれを解雇できる点および三ケ月を経過すれば次の地位たる見習者にさらにまた一定期間を経て通常の従業員に特段の採用試験を経ないで移行する点を考慮すれば、試用者として採用されることによつて被告会社と期限の定めのない雇傭契約は成立するが、右期間は被告会社において、就業規則に定められる解雇事由以外の事由によつても、被用者として不適格であると認めればこれを解雇しうる権限を留保しているものと解することができる。次に右試用期間を経過し、見習となつた者の地位について検討すると、右見習期間中の解雇の事由については就業規則の条文上やや明確を欠くきらいがあるが、これを試用期間中の者についての解雇の規定と対比するとき、見習中の者に対しても被告会社が不適格と認めれば何時でも解雇できるが、その際予告手当を支払わなければならない点でのみ異つているもののごとくみえる。しかし、一方右見習の期間については、バス運転士は三ケ月以内、その他は二ケ月以内と定められている点からみれば、右見習期間は試用期間に較べて職能訓練ないしは職務に対する適応性の観察の面がかなり強く出ていることが認められる。してみれば右就業規則に解雇事由として定められている不適格者の意味も試用期間中と見習期間中の者とでは右各期間の目的からみてかなり異つているものといわなければならず、前者が一般に被告会社の被用者としての適格性を意味するのに対し、後者では各人の職務に応じた適格性とみることができる。

したがつて、前示認定の事実によれば、見習期間中の原告甲野花子が解雇さるべき事由としては、被告会社の就業規則に定められた解雇事由もしくはガイドとしての適格を欠く事由ということになるわけであるが、被告が解雇事由にあたると主張する原告花子の前示行為はいずれもガイドとしての特有の職務上の適格性とは直接関係がないものであるから、それが就業規則の懲戒解雇事由にあたるか否かが検討されなければならない。

ところで、就業規則は当該企業内における法規範としてその企業の従業員を一般的に拘束する効力を有するものであると解するところ、かゝる就業規則において従業員の懲戒を定め、これにしたがつて従業員の懲戒を行なうことも是認されるものといわなければならない。けだし、就業規則を法規範とみる限りにおいて、その機能は企業内における秩序の維持にあり、かゝる機能を全うするためには、秩序の破壊者に対してこれを懲戒することも当然法規範として許されるものといえるからである。しかし、一方かゝる懲戒は就業規則が企業内の法規範であることの制約をうけ、その対象とすべき事項は当然企業内の秩序を破壊する行為に限られなければならず、企業をはなれた純然たる私行上の問題はこれに含まれないものといわなければならない。勿論私行上の行為であつても、企業の秘密を漏らし或いは企業そのものの体面を傷つけもつて企業の運営に害をおよぼすような、企業に対する忠実義務に違反する場合が懲戒の対象として含まれうるのは当然である。本件における被告会社の就業規則もかゝる観点から解釈されなければならないものと解するところ、成立に争いのない乙第二号証によれば、被告会社の就業規則第四五条には、懲戒解雇の事由となる行為が具体的に列挙されており、それらはいずれも一見して企業内の秩序破壊行為であることが明瞭であるが、唯一の例外として同条第二〇号には「素行不良又は不正不義の行為をして著しく従業員としての体面を汚し又は会社の名誉を損つたとき。」と行為を抽象的に定めている。しかし、前叙のとおり就業規則中の懲戒処分には、その対象となるべき行為は企業内の秩序維持の範囲内に限られるべきであるから、右被告会社の就業規則の懲戒規定を適用するについてもかゝる制限は付されなければならないというべきところ、成立に争いのない甲第九号証ないし同第一一号証によれば、次の事実が認められる。即ち、被告会社は本件で問題となつている祇園荘アパートのうち二部屋のみを女子従業員の宿舎のために賃借していたのであり、また被告会社浜田営業所に勤務する女子従業員もしくはガイドは全員右部屋に入居する義務があつたわけではない。一方訴外下尾正の居室は同訴外人が個人でこれを賃借しているものであつて、被告会社とは関係がない。してみれば、かりに原告甲野花子が、被告会社の賃借した居室を出て右訴外人とその居室において同棲をし、また懐妊したという事実があつたとしても、それは全く私行上の問題であるということになる。したがつて、かゝる行為は企業の運営とは何ら関係がないから、前示認定の就業規則第四五条二〇号に該当するということはできない。勿論かゝる婚姻関係にない従業員間の同棲或いはその結果の懐妊というような事態が、被告会社主張のとおりあつたとすれば、その使用者たる被告会社にとつても名誉なことではないとしても、自動車運送営業を営む被告会社の業務を直接阻害するものでもなく、また右就業規則第四五条一二号には、会社内において賭博、暴行、傷害その他これに類する行為をしたときが懲戒解雇事由とされており、右規定の反対解釈として会社外におけるかゝる行為は懲戒解雇事由とならないものと解されるのに、会社外における情交およびその結果の妊娠を解雇事由と解することは甚だしく均衡を欠き不当である。

次に被告は原告甲野花子は無断欠勤を平然と行なう精神状態である旨主張する。成立に争いのない甲第九号証によれば、同原告は昭和四〇年七月二日および三日の二日間引続いて無断欠勤したことは認められるが、同時に前示成立に争いのない乙第二号証によれば、被告の就業規則第四五条第一号には解雇事由として無断欠勤引続き五日以上となつており、右同原告の行為が右解雇事由にあたらないことは明らかである。

さらに被告は、同原告の行為を総合すると懲戒解雇事由にあたると主張するが、元来就業規則において懲戒事由を定める理由の一つには、人の集団としての企業の中において、使用者の恣意による従業員の解雇を制限しようとすることもあると解され、もし就業規則に定められた解雇事由にあたる行為以外にも、諸々の行為を総合した解雇事由がありうると解するならば、懲戒に関する就業規則の条項は全く存在意義を失うことになるので、かゝる解釈は全くとり得ないものといわなければならない。

さらに弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一号証の二、同第四号証、同第五号証、同第一三号証および同第一四号証によれば、被告会社の浜田営業所長で同営業所関係の人事につき被告会社を代理する権限を有する訴外小川秀雄は、訴外下尾正に、同原告が右訴外人から強いて姦淫されたことにつき同原告の祖母が、右訴外小川に強く抗議したので解雇してやつたと語つたことおよび、同原告の情交の相手方たる右訴外人と同原告に対する処分の仕方には甚だしい不均衡があるのみならず、かえつて、被告会社の浜田営業所副所長たる訴外本多義人は、同原告と訴外下尾正との情交は合意によるものであるとの資料の作成に努力し、もつて、同原告の退職を合理化しようと努力していた点も認められ、結局、訴外小川秀雄の原告甲野花子に対する退職の強要は前叙、同原告の祖母からうけた抗議に対する私怨からでたものであるといわざるを得ない。以上認定の事実によれば、原告花子には被告会社から解雇される正当な理由は何らないものというべく、かゝる根拠のない事実にもとづいて被告会社が原告花子から雇傭契約解約の意思表示を得たことは明らかに不当であり、これを前叙のとおり強迫によつて得たことはまさに違法であつて、結局同原告が被告会社の代理人訴外小川秀雄に対してなした解約の意思表示は取り消しうべきものであるといわなければならない。

3  取消の意思表示

原告甲野花子は昭和四〇年(ワ)第六二号事件の訴状において、同原告が昭和四〇年七月五日被告会社に対してなした雇傭契約の解約の意思表示は強迫によるものであるから取り消す旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

三、請求原因(三)に対する判断

1  宿舎管理上の故意または過失の主張に対する判断

訴外小川秀雄が昭和四〇年四月当時、被告会社の被用者で宿舎祗園荘を管理することを職務内容としていたことおよび原告甲野花子と訴外下尾正との間に情交関係があつたことは当事者間に争いがない。

そこで、被告会社に原告主張のような右宿舎についての管理義務があつたかについてみるに、成立に争いのない甲第二号証の一、二、同第三号証の一、二、同第九号証ないし同第一一号証、同第一五号証および同第一六号証を総合すると次の事実が認められる。即ち、被告会社の浜田営業所には女子専用の従業員寮はなく、被告会社としては原則として女子従業員をそれぞれの自宅から通勤させることとしていたが、自宅からの通勤不能者のために市内にあるアパート祗園荘のうち二室のみを賃借し、これを一種の福利施設として、利用させていた。同アパートには被告会社の運転手であつた訴外下尾正が同訴外人個人として一室を賃借していた。原告花子の父母は浜田市内に居住し、また祖母も同市内に居住しており、必ずしも被告会社浜田営業所に通勤不能の状態ではなかつたが、同原告の希望で右アパートの被告会社賃借部分に入居していた。原告両名は昭和四〇年四月頃、被告会社の浜田営業所長である訴外小川秀雄に対し原告花子を益田本社に転勤させてほしい旨申し込んだことはあるが、その際右宿舎についての不満が表明されたことはなかつた。以上認定の事実からみれば、右被告会社が賃借していた祗園荘の二室は、被告会社の女子従業員がそこに宿泊することを強制されるものではなく、本来ならば自宅から通勤不能或いは自宅からの通勤を望まない従業員各個人が賃借すべき部屋を被告会社が従業員の利益のために賃借していたにすぎず、その部屋に宿泊すると否とは従業員各人の判断にまかされているわけであるから、被告会社としてはそこに宿泊する従業員に対し、いわば室の転貸人程度の義務はあるとしても、従業員間の風紀その他の行動まで管理し監督する義務を負うものではない。してみれば、被告会社についてかかる管理義務の存在を前提とする本主張は他の点を判断するまでもなく失当である。

2  強迫の主張に対する判断

訴外小川秀雄が被告会社の被用者で浜田営業所における被告会社の職員の人事管理をその職務内容とするものであることは当事者に争いがない。また右訴外人が違法な強迫行為により原告花子を畏怖させ、その結果同原告が被告会社との間の雇傭契約の意思表示をしたことは前示(二)の2において認定した事実から充分認められるところである。してみれば、右訴外人は被告会社の被用者としてその業務を執行するに際し、原告花子をして強いて義務なきことを行なわせ、もつてその精神的自由を侵害したといわなければならない。

3  陳述強制の主張に対する判断

訴外浅原徳雄が昭和四〇年七月六日、原告花子を被告会社の浜田営業所に呼び出し、同原告に訴外下尾正との情交に関し陳述することを求め、これを録取した供述書に署名押印させたことは当事者間に争いがない。また成立に争いのない甲第七号証、同第九号証ないし同第一一号証によれば右訴外浅原徳雄の本来の職務は被告会社の浜田営業所の運行管理者ではあるが、右供述書の作成については、当時同営業所の副所長である訴外本多義人の命によつたものであり、同訴外人は人事管理を行なう営業所長を補佐することが職務であつたから、結局右訴外浅原の供述書の作成は被告会社の職務の執行といわなければならない。また前示甲号各証ならびに成立に争いのない甲第七号証により真正に成立したと認められる乙第四号証中浅原徳雄作成名義部分および本人の押印があるので真正に成立したものと推定すべき同号証中甲野花子作成部分を総合すると次の事実が認められる。即ち、右供述書が作成された昭和四〇年七月六日には、原告花子は既に前日退職届を被告会社宛に提出していたが、訴外浅原徳雄が呼びにきたので或いは復職させてもらえるのではないかと考えて被告会社の浜田営業所に赴いた。浜田営業所では右訴外人が同原告に対し訴外下尾正との情交について詳細に陳述することを求めたのであるが、その際同訴外人は当時一八歳の女性で未婚の同原告に対し、警察が調べるより今包みかくさず言つた方がよいとか、警察が調べれば現場検証もされるというような趣旨のことを述べた。右供述書の作成に際しては、同原告は積極的に事実を述べたものでなく、右訴外人が一方的に情交の状況を述べ、これに対して同原告の返事を求めたにすぎなかつた。供述書の内容を記載した後、同訴外人は同原告に対し、同供述書の末尾に押印することを求めたが、同原告は被告会社から退職を迫られたうえ、このような供述書まで作成されたことに腹をたて、その際印顆を所持してはいたが、これを持つていないと述べて、押印させられることを避けようと試みた。甲第七号証中右認定に反する部分の浅原徳雄の供述はこれを措信しない。以上認定の事実からみれば、右供述書の作成に際し、同原告はその内容を陳述することを強制されたことが明らかであり、またその陳述が同原告の意に反していたことも容易に推認されるところである。

そこで右の事実が、被告会社の被用者が業務執行に際して原告の権利を違法に侵害したことになるかについてみると、先ず、人は一般に他から供述を強制されない自由があることはいうまでもないところであり殊に男女の情交関係のように社会の良識上からもこれを公然と発表することを差し控えるべき事項にあつては特にかゝる要請が強いものといわなければならない。このことは刑法が強姦罪を親告罪とし、被害者が情交関係を発表することを好まない場合には本来犯罪となるべき行為すら刑罰の対象から除外しようとしている点からも明らかである。したがつて、本件における如く、男女関係を当事者の意に反して強いて発表させようとすることは明らかに供述者の精神的自由を侵害した違法な行為であるというべきである。勿論前掲各証拠によれば、被告会社が原告花子に、訴外下尾正との情交関係についての供述を求めたのは、将来右訴外人について生じるかもしれない懲戒解雇のための資料の収集の意味があつたことは推認されるのであるが、かゝる目的が右同原告に対する権利侵害の違法性を阻却しないことはいうまでもない。けだし、前叙、強姦罪について述べた如く社会における秩序の維持の場面においてすら、情交関係が問題となる場合にあつては当事者の意思が尊重され、個人の意思が社会の秩序維持の目的に優先するのであるから、同様の状況の下にあつて、一企業内における秩序の維持が個人の意思に優先するとは到底考えられないからである。殊に本件においては、前掲各証拠によれば、被告会社が同原告に示した態度は、企業内の秩序維持のため当事者たる同原告の意思を全面的に無視し、その結果甚だしくその人格を傷つけていることは明らかであり、この面からも社会的に強く非難されなければならず、その違法性はきわめて高いものというべきである。

4  供述書公表の主張に対する判断

原告は、訴外小川秀雄が前示供述書を被告会社の業務の執行として被告会社に備えつけて公表したと主張するが、右供述書がその作成後如何に処理されたかについて何ら立証のない本件においては右主張の事実を認めることができず、したがつて、他を判断するまでもなく本主張は失当である。

5  原告花子の不行跡の公表の主張に対する判断

前示認定の事実によれば、訴外小川秀雄が被告会社の業務の執行として、強迫により、原告甲野花子をして雇傭契約解約の意思表示をなさしめ、同原告の出勤を事実上不能ならしめたことは明らかである。しかし、右事実が直ちに、同原告の不行跡の公表となるとの点については、他に特段の立証のない本件においてはこれを認めることはできない。

6  原告甲野花子の被つた損害についての判断

叙上認定の事実によれば、原告甲野花子は前示2および3の場合において、被告会社の被用者がその業務を執行するについて精神的自由を侵害されたということができる。

そこで先ず、前示2の不法行為により同原告が被つた損害について考える。成立に争いのない甲第二号証の一、二、同第三号証の一、二、同第八号証および同第一一号証によれば、同原告は右訴外小川秀雄から強迫により被告会社との雇傭契約の解約の意思表示をさせられてから深く懊悩し、突然惹起した異常事態に如何に対処してよいか判らない状態にあつたことおよび右退職の強制が長く心理的圧迫となつて強い劣等感をうえつけ、その後就職しても、右の退職を強制された事実が暴露されることを恐れて一雇傭先に長期間勤務することができない状態となつていたことが認められる。

次に前示3の不法行為により同原告の被つた損害について考えるに、前示認定の事実からも、一八歳で未婚の同原告がその意に反して自らの情交関係の陳述をさせられたことにより甚だしい精神的打撃をうけたことは明らかであり、さらに前示甲第二号証の一、二および同第三号証の一、二によれば、当時同原告はその精神的打撃により殆んど錯乱状態にあつたということができる。

以上認定のとおり、被告会社の被用者はその業務執行に際し、原告甲野花子の精神的自由を侵害し、もつて前示のとおりの損害を与えたことは明らかであるが、前示認定の事実および前掲各証拠により認められる同原告の職業、年令、性別を総合すると前示2の不法行為による損害については金一〇〇、〇〇〇円、前示3の不法行為による損害については金二〇〇、〇〇〇円をもつてそれぞれ一応の慰藉がなされうるものと認められる。

7  原告甲野太郎の被つた損害についての判断

原告甲野太郎は、同原告の子である原告甲野花子が請求原因(三)の1ないし5掲記の不法行為をうけ、このために親として同原告自身の名誉を毀損されたことになると主張し、同主張事実中右原告太郎が原告花子の父であることは当事者間に争いがない。

しかしながら、前叙1ないし5において認定のとおり原告の請求原因(三)掲記の各不法行為の主張のうち、被告会社の被用者がその業務を執行するに際して故意又は過失により原告甲野花子の自由を侵害したと認定しうるのは同2および3の主張についてのみであり、その他の主張については同原告に対する被告会社の被用者の不法行為とは認められない。ところで、原告甲野太郎の右主張によれば右原告花子のうけた不法行為によつて原告太郎自身の名誉が傷つけられたというのであるから、右原告花子に対する不法行為が認められない限り、原告太郎自身に対する不法行為も亦成立しないものといわなければならない。そこで、原告花子に対する不法行為の認められる前示2および3の事実についてみるに、前示認定の事実のみをもつて同原告の自由が侵害されたことにより直ちに原告太郎の名誉が毀損されたと認めることはできない。けだし、前示認定の精神的自由の侵害はいわば内心の意思決定の自由に対する侵害であつて、かゝる事実が直ちに第三者たる父の名誉を侵害することにはならず、また本件においては右自由の侵害が直ちに原告太郎の名誉を傷つけたと認めるに足る証拠はない。

四、結論

以上認定の事実によれば、原告甲野花子の請求のうち請求原因(二)において主張する被告会社と同原告との間の雇傭関係の存在を前提とする同原告が被告会社の従業員たるの地位を有することの確認を求める部分および請求原因(三)の2において主張する不法行為による損害賠償金一〇〇、〇〇〇円、同3において主張する不法行為による損害賠償金二〇〇、〇〇〇円の合計金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する右損害賠償金の支払を請求する訴の変更申立書が被告会社に到達した日の翌日である昭和四三年四月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については理由があるのでこれを認容することとし、その余は失当として棄却し、原告甲野太郎の請求はいずれも理由がないのでこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 元木伸)

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